ピエール・ペテルス
ピエール・ペテルス
このドメーヌは、ガスパール・ペテルス氏が、ぶどう栽培農家の娘ドゥエ女史と結婚したことにより、1858年からもともとぶどう栽培専業農家として始まりました。その後栽培専業農家としての歴史は息子のルイ・ジョセフ・ペテルス氏の代まで続きます。シャンパーニュの元詰め販売は、戦争から帰還したルイ・ジョセフ氏の息子カミーユ氏が、1919年、『カミーユ・ペテルス』のブランド名で、レコルタン・マニピュランとして始めました。1920~30年はシャンパーニュにとってまさに“熱狂”の時代で、ネゴシアンが大躍進しました。カミーユ氏も時代の流れに乗って増産を行い、1929年からは100%元詰めとなりました。カミーユ氏の息子ピエール・ペテルス氏は、なんと12歳の時から自社ブランドを広めるべく活動を行っており、この時代にカミーユ氏は、メニルで最も著名な畑のひとつ、レ・シェティヨンを購入し、1946年にピエール氏は、ドメーヌ名を自身の名前『ピエール・ペテルス』に変更しました。1967年、ピエール氏は息子のフランソワ氏にドメーヌを相続し、自社畑も20haまでに拡大。また、相続で分割されていたレ・シェティヨンの畑も1.2haまで再購入に成功しました。そして2007年から、3代目としてロドルフ・ペテルス氏がドメーヌを引き継ぎました。1970年生まれのロドルフ氏は、著名な醸造家ジャック・ペテルス氏(ヴーヴ・クリコの元醸造長)を叔父に持ち、とても恵まれた環境で育ち、現在では多くのコンサルタントも手掛けるなど、メニルを代表するシャンパーニュの醸造家としての地位を確立しています。 栽培は100%シャルドネ、平均樹齢は35年で、65年を超える古木もあります。10年以上リュット・レゾネを行い、4通りの栽培を行っています。 また昨今、主流となりつつあるクローン・セレクションではなく、マス・セレクション(代々引き継がれてきた自分の畑で、時間をかけて優良な株を選定。それを苗木として使用する方法。)にこだわっています。 ロドルフ氏は「シャルドネはひとつではない」と語ります。代々ペテルス家が守ってきた「様々な特徴を持つシャルドネ種」を引き継ぎ、マス・セレクションにより栽培を行うことは、「シャンパーニュの歴史と誇り」「ペテルス家代々のメモリー」を守ることであるとし、このこだわりにより一層味わいに複雑味が加わった仕上がりになっています。