ローネイ・オリオ|House of Otium

ローネイ・オリオ

ドメーヌ・ド・ローネイ・オリオ

ドメーヌ・ローネイ・オリオの現当主にして醸造家であるグザヴィエ・オリオの半生は、正に驚き以外の何物でもありません。グザヴィエ・オリオを主役とするこのドラマは、フランスの途方もなく高額な相続税に関する法律、そしてここ20年間におけるブルゴーニュのブドウ畑の市場価値の高騰を背景に繰り広げられたローネイ家の家族間争い、ワイン作りにかける情熱、そして11年間にもおよぶ法廷争いから成ります。 ローネイ家がポマールに定住し始めたのは18世紀のことで、歳月を経てポマールの名だたる銘醸畑を徐々に買い足していきました。総面積4 haの畑のうち、2.2 haは1902年に最初のブドウが植樹されたポマールの一級畑レ・ペリエール、同じくポマールの一級畑レ・リュジアン・バに0.09 ha、レ・シャポニエールに0.59 ha、クロ・ブランに0.17 haを所有し、ジュヴレ・シャンベルタンの卓越した特級畑ラトリシエール・シャンベルタンに0.17 ha (ピエール・デュロシェの畑に隣接)、同じく特級畑のシャンベルタンに0.16 ha(ラルー・ビーズ・ルロワの畑に隣接)を有しています。 2000年に先代のレイモン・ローネイが亡くなり、この4 haのブドウ畑は、レイモンの娘と孫にあたるグザヴィエ・オリオに遺産として残されました 。レイモンは亡くなる前、娘に ドメーヌを継続する意志がなく、土地を売って現金に換えることを望んでいると知り酷く心を痛めます。しかし、当時のフランスの法律では、残念ながら他になす術がありませんでした。そこで、当時、戦闘機のパイロットとしてフランス空軍に従軍していたグザヴィエは、愛する祖父の遺志とワイン造りにかける情熱を受け継ぎ、家族の畑から再び格別なワインを生み出すという祖父の夢を叶える決意をしたのです。 11年もの歳月をかけた法廷争いを経て、グザヴィエの資金は枯渇しますが、一族の自社畑から作るワインを再興させるというグザヴィエの決意はより強固なものとなり、ついに 2011年、勝訴を勝ち取りこの稀少な4 haの自社畑を手に入れます!(皮肉なことに彼と法廷で争った実の叔母は、この判決が出てから2ヶ月後、相続人がいない状態で亡くなりました。)グザヴィエはフランス空軍を辞職してポマールに帰郷し、ドメーヌの復興へと乗り出します。幸運にも、彼のブドウ畑は、法廷争いの間中ずっと適切な手入れがされた状態で樹齢を重ねていました。最初3年間は、実質資金ゼロの状態からワイナリーを立ち上げていく傍ら、自らの手で畑仕事を行い、ブドウ畑で実験的な栽培を重ねて収穫されたブドウのほとんどを他社へ売却することで資金を調達し、ブドウ栽培とワインの醸造に必要な設備を少しずつ買い足しました。 2014年には、才能あるコンサルタント、ヴェロニク・ジラール女史の助けを得て、グザヴィエ自らの手でワイン作りを始める準備が整いました。(グザヴィエの言葉を借りると、「ポマールは女性の手が入ることで大いに恩恵を受けることが出来ると実感した」そうです。 やがてトム・アトキンを始め、アレン・メドゥやミッシェル・ベタンヌなどといった錚々たる顔ぶれの評論家が彼のもとを訪れるようになります。ドメーヌのワインは、ポマールの村名ワインから一級畑のワインに至るまで、ポマールの独特で柔らかな表現力が余すところなく引き出され、その全てが将来有望で極めて興味深い味わいのワインであり、2つの特級畑ラトリシエール・シャンベルタンとシャンベルタンに至っては、卓越した表現力を持って それぞれのテロワールの持ち味が見事に引き出されているとの共通認識がワイン評論家の間で瞬く間に共有されていきました。
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