ドメーヌ・ミッシェル・グロ
ドメーヌ・ミッシェル・グロ
ヴォーヌ・ロマネの名門、グロ家の血を引くドメーヌの一つ、ミッシェル・グロ。グロ家は、1830年ニュイ・サン・ジョルジュ村近くショー村のアルフォンス・グロ氏によって設立されました。そして4代目であったルイ・グロ氏が今日のヴォーヌ・ロマネの名門と呼ばれる、グロ・ファミリーの礎を築きました。5代目は伝説の醸造家として知られるジャン・グロ氏。彼はヴォーヌ・ロマネを代表する造り手の一人として知られており、彼の造るワインは、「これぞブルゴーニュ赤ワインの模範である!」と一世を風靡しました。そして1996年、ジャン・グロ氏の引退に伴い、ドメーヌの畑は長男ミシェル氏、次男ベルナール氏、そしてアンヌ・フランソワーズ女史ら3人の子供に分割・譲渡されることとなります。長男のミシェル氏はドメーヌの建物とモノポールのクロ・デ・レアを始めとする畑を得て、グロ家の伝統の名に恥じぬ素晴しいワインを造り続けています。ミシェル氏は、1975年ボーヌ市のブドウ栽培学校を卒業後、父のドメーヌ「ジャン・グロ」で働き始めました。1978年には、それまで通り父ジャン氏との共同作業をつづけながら、一方で自分自身のドメーヌ「ミッシェル・グロ」を創立します。父のブドウ畑からとれる2ha分のブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイを醸造し、ミシェル氏自身のワイン造りの第一歩を踏み出しました。また、ジャン・グロのラベルが消滅するはるか以前から、実質的にジャン・グロのワインを造っていたのもミシェル氏であることは良く知られている事実です。ジャン・グロの名を世界に広めた綺羅星の如く輝くワイン達は、実際にはミシェル氏の手によるものであり、彼の卓越したセンスと経験は当時から高く評価されていました。故に分裂後のグロ一族の中で、ミッシェル・グロが最もそのワイン造りを色濃く継承しています。