ヴーヴ・クリコ

ヴーヴ・クリコ
1772年、シャンパーニュの中心地ランスの銀行家フィリップ・クリコ・ミュイロンが設立。 フランス革命の中、息子のフランソワ・クリコ・ミュイロンは21歳のニコラ・バルブ・ポンサルダンと結婚。この女性が1777年に生まれ1866年に89歳で亡くなったニコル・クリコ。彼女こそが一大シャンパン帝国を築いた偉大なマダム(ラ・グランダム)です。1802年には他の全ての事業を止め、シャンパン造りに専念しますが、次の年に夫のフランソワが熱病で死亡。27歳のニコルは夫の遺志を継ぎ3代目の当主になる事を決めました。社名も「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」。シャンパーニュ地方の当主は早く亡くなる事が多く、ポメリー、ボランジェ、ルイ・ロデレールなど女傑が会社を引っ張っていましたがヴーヴは未亡人の意味。画期的な社名です。悲しむ時間もなくロシア宮廷へ売り込みを掛け、数多くのワインに関する本を読み(ジャン・アントワーヌ・シャプタルの「ワイン生産術」など)シャンパンの改良に力を注ぎました。1816年、澱が多く濁っていたシャンパンをルミュアージュ(動瓶)という手間を掛ける事で清澄化を図りました。これは社運を賭けた一大プロジェクト。10年間、他のメーカーには秘密にされました。1860年にはBrut(ブリュット)を発見。辛口のシャンパンが誕生しました。それまでは甘く濁ったシャンパンばかりだったのです。数々の改革により今ではMHLV(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン、巨大ブランド企業)のモエ・エ・シャンドンと並ぶ代表的存在。女性に大人気のイエロー・ラベルは1873年に発売されました。ブレス産鶏の鮮やかな卵黄の色が由来です。シャンパン造りに偉大な貢献をしたニコラ・クリコに現在でも会う事が出来ます。キャップシールを外した時に現れるミュズレの肖像画やラベルの中央に赤文字で記してある彼女のサインに。