サロン

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自分の為にシャンパンを造るとしたら、どんなシャンパンを造りますか? 1867年に生まれたウジェーヌ・エメ・サロン。小さな醸造所の責任者が義兄だった事から少年時代にシャンパン造りを手伝っていました。単一畑の「クロ・タラン」(現在のクリュッグのクロ・デュ・メニル)を造っていました。その頃に芽生えた夢は自分だけの完璧なシャンパンを造る事。大人になった彼は毛皮を商い一代で財産を作り上げました。 1911年にパリの「百人クラブ」(人数限定、上流階級の美食クラブ)の会員になった彼は自分自身や仲間の為にシャンパン造りを決意。パリの北東150kmにあるシャンパーニュ地方。その中でもグラン・クリュ(特級村)に指定されているル・メニル・シュール・オジェ村に1haの畑を手に入れ、シャルドネを植えました。1905年に個人でシャンパン造りを始め、1914年には会社を設立。商品化も始めました。とは言っても自分の為の夢のシャンパン。妥協は許されません。その夢は「単一葡萄畑、単一品種、単一年の一番搾り」の完璧主義。当時はシャルドネだけから造るブラン・ド・ブランは存在せず、型破りな造り方でした。 その気品があり端麗な味わいが受けて1920年以降、「マキシム」のハウスシャンパンになり、上流階級の社交場で大人気に。エメ・サロンは名声も得ました。その後、1963年から次々と大手企業に買収され、1989年にはシャンパン・メゾンのローラン・ペリエに買収されました。しかし、伝説のシャンパンにはますます磨きが掛かり、手に入れるのは至難の技です。生産量が少ないうえに今年(2021年)までにリリースされたのはたったの42ヴィンテージだけ。サロンが造られない年はローラン・ペリエの傘下である「ドゥラモット」に全量、使用されます。